【ぼんとリンちゃん】 現実の入り口に、少女は立つ。 【感想】
ぼんとリンちゃん
久々に1人で映画を観た。前から気になっていた作品なので、観れて良かった。
好き嫌いが別れそうで、サブカル的な立ち位置にいる映画だった。ヲタクが題材だからポップかと思いきや哲学的な青春映画だ。
※一部セリフなどネタバレを含みます。
あらすじ
地方都市に住む四谷夏子(通称”ぼん”)は16歳と62ヶ月を自称する大学生。友田麟太郎(通称”リン”)とはBL(ボーイズラブ)の同人誌やアニメ、ゲーム等をこよなく愛する幼なじみだ。ふたりは東京にいったきり連絡が取れない親友のみゆちゃん(通称”肉便器”)を探すため東京にやってくる。ネットゲームで知り合った会田直人(通称”べびちゃん”)に協力してもらいみゆちゃんが彼氏と同棲している部屋へ向かうが・・・
[:cotents]
感想
ヲタクを題材にした作品は数あれど、彼らのキャラクターは圧倒的なリアリティーがある。べびちゃんも、ぼんちゃんも現実世界にいそうなヲタクだ。
にしても、2人とも「エクスカリバー」だの「ティロフィナーレ!」だの日常会話で使う単語がこじらせまくってます(笑)
監督は、元々ヲタクと触れ合ったことがなく、今回の作品をつくるために、数十人に対して取材を重ねたそうで、努力が活きている。
見どころは最後の約15分にもおよぶセリフの長回し。肉便器ちゃんとぼんの討論はまるで演劇のよう。お互いが譲らない。そして、相見えない異なる視点をお互いに振りかざし合う。
ぼんが話す言葉は全部誰かの受け売りだし、彼女は浮世離れしていて自分のつくりだしたファンタジーの中に生きているような人間だ。だけど、絶対に自分の信念を曲げないのだ。それが例え受け売りでも。
そんなぼんに肉便器ちゃんは言う。
何もしてないから自分の言葉が言えないんじゃん。
経験の言葉が、オリジナルの言葉が。
言葉が刺さる。だが、反論する。口論は激化するばかり。情けないことに何もできずに立ち尽くすリンちゃんとべびちゃん。ああ、情けない。でも情けないのが生々しい。口論を行う20分の長回しのシーンの後ろで、この二人が何か言おうとしてできないもぞもぞをやり続けているのを見るのも乙である。
最終的に二人はぶつかったまま、ぼんが部屋を飛び出していってしまう。そして、リンはたよりなさそうに後ろをついていく。
ぼんは歩き始める。道を真っ直ぐ歩いていく。道行く人に肩がぶつかる。歩いてるぼんを正面から写し続けるシーンが続く。自分に正直に生きると、誰かとぶつかる。それが現実だ。だけど、自分を曲げないで真っ直ぐ歩く。そんな生き方の選択を感じさせられる。
「辛いことの中に楽しさがあるのかな?」
「むしろ、辛いことの中にしか楽しさってないのかな?」
ファンタジーから抜けだして、現実への一歩を踏み出すそのまた前の一歩。
あー、ハートがクソいてぇ!
現実の入り口に、少女は立つ。
ED - 迷子のリボン / 40mP
明確なハッピーエンドではないけれど、作品にぴったりなEDのおかげで、後味がすごく良かった。
EDがうまく作品をまとめていて、収束させていると思う。
誰かに聞いた言葉の意味を噛みしめては
分かったような顔して今日も家を出るの
楽して掴んだ幸せなんて
私は望んでないし 必要ないけど
迷って 悩んで 見つけ出した答えを
今夜も抱きしめるの
好きって叫んだココロの声
理由なんてものは後付けでいいよ
迷って 悩んで 見つけ出した答えを
今夜も抱きしめて眠るの
著名人からのコメント
HPのコメントコーナーにたくさんの著名人の人がコメントを寄せていて、特に以下のお二方のコメントがビビッと来たので紹介させていただきます。
岸見 一郎 哲学者
ぼんちゃんは私のところに時折やってくる若い人に似ている。皆、一様に純粋で夢見る人である。現実と妥協しないので、絶えず世間の常識とぶつかる。私はそんな生き方を貫くぼんちゃんに憧れる。「迷子になったみたいだ。私、迷子だ」。生きることは迷うこと。ぼんちゃん、いつまでも夢見る人であることをやめないで!
ヴィヴィアン佐藤 美術家・ドラァグクイーン
これは「大切な教典」を持ち帰る旅ではなくて、片割れの「自分」を捜す旅。もしかしたらぼんちゃんにとっては未来の自分に、みゆちゃんにとっては過去の自分に出逢ってしまう旅かもしれないわ。あたしたちは鏡や映像でしか自分の顔を見ることが出来ないように、彼女たちは他人(片割れの自分)を見つめることで、ときには自分自身をそこに見つけたり迷子になったりしてしまうのね。
予告