true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

予定のない休日を充実させる方法

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Photo by Sean O. on Unsplash

※この記事はあくまで小手先のフラシーボ効果を誘発するテクニックを紹介した内容になります。

予定のない休日に敗北した日

予定がない休日がはじまった朝。とてつもない多幸感と共に僕たちは目を覚ます。

「今日の予定は何もないということはなんでもできるということだ!」という名言をもじったような言葉が自然と脳内を駆けめぐり、かけがえのない「無」という名の「有」に「無限」に遥かなる期待と高揚感を持ちながら一日をスタートする快楽といったらない。

そんなこんなで一日をスタートし、今日は何をしようかな〜なんてうきうきしながらベッドの中でスマホを開いてSNSをチェックしはじめる。勢いでSmartNewsをダーッと読んで、よく読んでいるWebサイトもなんだか読んじゃう。更にはてなブックマークとかも読んでみる。

この時点で既に11時頃。昼は何にしようかな〜なんて考えつつ自炊したりその辺になんか食べ物を調達しにいく。昼ごはんを終えると、ふ〜つかれた〜なんて思いつつまた携帯を開く。特に更新されていないSNSを見つつ、YouTubeを観始めたり、ネットサーフィンをする。この時点で既に15時頃。

このあたりで一日の終わりが頭をよぎり、逆算して焦りを感じ始める。12時頃に寝るってことは残りは9時間くらいしかないの?夕飯と寝る前の準備や風呂などもろもろの時間を差し引くと賞味残された自由な時間は6時間程度しかないんじゃないだろうか。

ここで僕は6時間を使用していかに有意義な時間をすごすかを考え始める。映画を観れば残りは4時間になる。しかし本も読みたいし、なんかダラダラもしたい。いや、それ以前に観た映画がものすごく駄作だったらどうしよう。実質1日の3分の1を捨ててしまうと同じじゃないか。それだけは避けたい。なら入念に調べよう。

何度見返したかわからない観たい映画リストを観返す。実に200作品ほどが登録されているがほとんどの映画はかつての自分が「今観たかった映画」であって今の自分が観たい映画ではなかったりする。そんなこんなしているうちに17時になっており、夜ご飯の準備をはじめる。

夕飯を終えると本日2度目の「あーつかれた〜」を発動してスマホをダラダラ観る。ここで21時頃になり、既に映画を観ると一日がそのまま終わってしまう時間になっている。ここで映画を観ると一日が映画で終わってしまう。何も縛られていない時間をすごす余白がほしい。ならばいっそ映画を観るのをやめようというジャッジをする。そうして一日を終える。

ここで思うのだ。「今日何もしていないじゃん!!」という圧倒的な事実に。

今日何もしていないロジックによる自己嫌悪は相当なものである。なにせ「なにかしたい」と「でもしない」の間を何度もウロウロしてその末に何もしなかった自分、しかもそれを選んだのは自分であるという紛れもない事実。この事実の前に僕はノックアウトされざるをえない。まるで一日を無駄にしたような何かに敗北したような気持ちでいっぱいになりながら明日から仕事がまたはじまるぜ〜なんて思いながら眠りにつく。

3行でまとめるつもりが無駄な熱が入り原稿用紙2〜3枚分くらいの長文を書いてしまった。こんな体験をしたことは皆様ありませんでしょうか。そんな皆様におすすめの方法をひとつだけ紹介します。

予定のない休日を充実させる方法

 

予定のない休日を充実させる方法、それは「朝一でなんでもいいから映画を観ること」だ。

朝一で映画を観る効能は大きい。なぜならそれ以降仮に何もしない1日をすごしてしまったとしても「でも俺は今日映画を1作品は観た」という拠り所にすがりながら、一日を無駄にしたつもにはならずに一日を終えることができる。

更にその映画が駄作であった場合でも、駄作であることを叩く感想を見て、あー仲間がいたなんてほっこりしたり、駄作と感じた映画を褒めるレビューを読むことで、こういう見方があるのか、だったりこういう考え方・感じ方の人がいるのだな、と価値観を広げることができる。

さらにさらに、しょっぱなから既に映画を観たことが勇気になりその後どれだけ無駄な時間をすごしたとしても、「でも俺は今日一本映画観たぜ!」と自分に言い聞かせることができる無敵感がある。この無敵モードで構想する午後のすごし方は無限大だ。一日を無駄にしてしまったらどうしようとかそういうことに恐怖せずに自由な発想で予定を立てることができる。なんてこった。

ここまでが「予定のない休日を充実させる方法」だ。ここからは注意事項を書く。

朝1映画のデメリット(リスク)

 

念のため、朝一で映画を観るリスクに触れておく。

①午後以降芸術賢者モードリスク

僕の持論だが、人が一日に触れることができる情報の総量や感動ができる総量はなんとなく限られている気がする。美術館で数時間くらいすごしたり、家電量販店に数時間いると「もうおなかいっぱい!」となってしばらく集中力がなくなるあの感じである。これを僕は個人的に「芸術賢者モード」と読んでいる。午前中から映画を観てしまうことで場合によっては午後から「芸術賢者モード」状態ですごすことになり、不本意にも本来感動したかったものへの感動が薄れるリスクがある。

②映画に引っ張られすぎリスク

映画を観ると何かしら影響を受ける可能性がある。その感情に引っ張られ、仕込まれた広告に煽られ、思考の方向性をもっていかれる可能性がある。自由なはずの一日が映画ありきの一日になってしまう”かも”しれない。

最後に

 

効用だのリスクだのいろいろ語ったが、安心してほしい。なぜなら大体の人にとって休日は月に10回くらい、年に100回くらいもあるのだから。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは人次第だ。でも生きている日の3分の1くらいは休日だ。あせって休日を有意義にしようとしなくても休日はたっぷりあるし、仮になにもしない休日だって立派な休日だ。そもそもSNSをただ観ることだってみんなの一日の断片にふれることができて、何かを考えて。しあわせな時間だと思う。

そして、本来一日に正解も不正解もない。良いも悪いもない。自分がどう捉えるかがあるだけだ。無理に自分を追いやる必要はない。人というものは目まぐるしく変化するものだ。変に一日を計画的にすごさず、スマホが観たいときはスマホを観て、散歩がしたくなったら突発的に外に飛び出せばいい。そうやって何かアクションをする度に気分は変わっていく。極端に言えば何かをする前の自分とした後の自分をちがった自分なのだから、変わる前の自分に変わった後の自分のことなんてわからない。

だから無理に縛られず自由に「今したいこと」をして、それを「自分にとっての善し」として、せいいっぱい目の前のことを噛み締めていけば自ずと幸せな日々になるんじゃないだろうか。

そんなことは自分自身に何度も言い聞かせてきたし、考えてきたけど、それでも時々何も予定のない休日や帰宅後の寝るまでの時間をすごす時に度々僕は「なにもしなかったらどうしようか病」を発動してしまうので、そんなときの解決策の1つとして、「朝一映画」を提案しようと思う。用法用量には注意しつつ、ぜひお試しあれ。