true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

生きているうちにあと何冊の本を読むことができるのだろうか。

ふと、最近本を読んでないなあと考えていたら、「生きているうちにあと何冊の本を読むことができるのだろうか」という疑問が寂しさと共にこみ上げてきた。

おとな

最近、自分は大人という立場になったのだと、考えることが多い。まだ、気持ちは大学生なんだけど、紛れもなく自分は大人なのだ。小学生くらいの時にずっとなりたかった大人。

小さい頃は無限に続いていくような気がしていた日常。生産性だとか、今日が幸せだったかとか、そんなことはどうでもよくて、やりたいことをやって一日を終える日々。

「生きているうちにあと何冊の本を読むことができるのだろうか」

無限だと思っていた時間は、今の自分にとってどうやら無限ではなくなっていて、あと何回〜ができるだろうかとか、今日が意味ある日だったかとか、後ろからカウントダンスしながら考えていて、心の窮屈さを感じた。

毎日をレビューする日々だなんて。

漠然と過ごすのは勿体無いから意味のある日々を送ろうとする思い、意味のある無しをいちいち測るのは窮屈だから、何も考えずに自由に過ごそうとする思い。矛盾した2つの思いの間をさまよっている。

最近、家に帰ってきた後や、休日の行動をタスク化してしまっている自分がいる。朝に一日のスケジュールを決めて、30分おきくらいに時計を見て、一日の終わりから逆算しながら、スケジュールを再調整して。一日が終わった時に、今日はこれとこれができたから、オッケー。みたいな。自然とそれをやっちゃっているんだけど、書きながら振りかえると息苦しいなーって思う。

特に一日が終わった時に今日はこれができてないから寝たくないな−とか考えるんだけど、人生の幸福度を今日という日で区切って考えるってナンセンスなんじゃないかなーと。確かに寝て一周って周期なんだけど、別に今日やっても明日やっても同じ人生じゃん?っていう。生きてる限り人生は続くのだし、暦自体昔からあるにはあるけど、人間が誕生した時からあったものじゃないし。

一日って区切りを意識しないようにしようって今決めてから、急に心が軽くなった。どうやら僕は今日という日を評価しては物足りなさを感じてがっかりするっていう無駄な心の運動を毎日していたみたいだ。

さよならタイムマネジメント

本を読んだり人に出会える機会は有限だから、ダラダラ毎日を過ごさず、本読んだりしようぜ。ってはじめ書こうとしてたんだけど、書きながら頭の中を整理して客観的に見てみると自分が行きたいのはそっちじゃないなーって気づかされた。

思い切って家では時計を見る頻度を減らすことにする。やりたいことわーってやって、あー!もうこんな時間か!まじか!って感じで驚くみたいな。やんちゃに没頭して日々を楽しんでみよう。そうしよう。

もうすぐGWだ。たくさんオフがある。GWはきっとあっという間にすぎるんだろうけど、どんな過ごし方でも後悔がないような、毎日気負わずに、気持ちよく眠りにつく日々にしよう。