true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

社会人になって、初めて帰った北海道で考えたこと

上京して社会人になった。社会人2年目の6月にして、初めて地元の北海道に帰った。

仕事で夜間立ち会いがあったので、ほとんどオールからの飛行機では爆睡からの帰省はおじいちゃんの法事からはじまった。

おじいちゃんが亡くなってから10年以上が経っていた。おじいちゃんは自分の人生ではじめて亡くなった身近な人だ。そして3ヶ月前に亡くなったおばあちゃんの妹が2人目の身近な人。

 

今回の帰省は、そのおばさんのお参りをしたかったことも自分の中の目的に位置づけられていた。おばさんは実家の近所に住んでいて、一緒に住んでいるおばあちゃんと仲がよかったから小さい頃なんかはよく一緒に遊んでもらった。

おばあちゃんがよくおばさんと一緒に幼少期の自分が写っている写真を見せてくれたから、余計におばさんは身近な存在だ。大学生の頃も帰省すると必ず顔出しに行って近況報告をしていた。

数年前にがんを患ってから長くないことは感じていたので、一度3月の後半に亡くなる前にひと目と思っていたが、帰省を予定していた時期よりも早く病状が急変し逝ってしまった。帰省も仕事の都合でなしになり、3月は激務だったので実感を伴わないままあっという間に今に至った。

 

いつだったか、一ヶ月ほど前にパソコンに入っている写真を見返していて、1年前くらいのおばさんの家の庭と、そこにおばさんが立っている写真が出てきた。その時、「もうこの世にはこの人はいないんだ。」と実感して、おばさんがもう会えない、話すこともできない存在なのだと認識する。

寂しいと言ったら寂しい。だけれど記憶まで無くなる訳ではないのが心強かった。ああ、いろんな記憶をなくさないように大事にしまっておきたい。無駄に感じたり、なんとなく退屈なことだって全部全部忘れないように自分の中にすり込んでおきたい。

 

帰らずに東京でばかり過ごしていると、油断するとどんどんみんな死んでいっていなくなってしまう。こっちに来てから実感したこと。でもね、たまにだから大事に思えたりするんだからいい塩梅っていうのもあるのかもね。

 

兎にも角にも。今回の帰省でおばさんのお参りができて、おじさんとも話せてよかった。30日くらい立ってからはもう慣れたよ。と語るおじさんの姿は、逆に言うと30日はずっと辛かったんだろうことを物語っていて、でもなんだか優しさを感じた。長く寄りそって生きることは素敵なことだな。

 

おじいちゃんはふたりとも働いているうちに亡くなっているから、そういう感じは俺にとって新鮮なんだ。自分もいつかおじいちゃんになるだなんて想像ができないなあ。生きてるのかなあ。でもいろんなものを見届けたいし、思い出はいつまでも噛みしめて堪能したいから、ずっとずっと生きていたいよ、俺はさ。貪欲だからね。

 

実家の話もしようとしてたんだけど、おばさんの話で十分な文字数になってしまった。実家の話はまたの機会に書こう。

 

書き出しだけ先出し!↓

 

約1年半近くも実家を留守にするなんて生まれて初めての経験で、家に帰るなり、「電気のスイッチが変わっている!」「ストーブがかわった!」とありとあらゆる場所の以前との変化を探しては、それを報告して確認した。