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はとに豆鉄砲

SNS全盛期だからこそ、ブログが書きたくなりました。思いたったことを、たれ流すように書きます。 音楽の話とか、何かの感想を書いていきます。

【この世界の片隅に 感想】何が起きても変わらずに生きていく。 ※ネタバレあり 【片渕須直】

ネタバレなしの前回の続きです。

djkazma.hatenablog.com

印象に残ったシーンについて。

聡美

聡美が時限爆弾で死んでしまうシーンの映像で表現されたモノローグに息を呑まされた。映画館が真っ黒な背景と真っ白い線だけになった。走馬灯のようなものが流れ、一瞬の選択に対する強い後悔が駆け巡る。鬼気迫るシーンだった。人生の中のとてつもない瞬間の頭の中の感覚をすさまじくリアルに具現化しているようで、あの瞬間時間が止まっているような感覚に襲われた。

右手

すずが絵と世界を素晴らしく捉え、絵という形で素晴らしく描いてきた右手。右手と年表を児玉するように繰り返すモノローグの重量感がすごい。今までの思い出が全て血塗られたかのような感覚。

終戦

玉音放送を聞いて叫ぶすず。「ここに5人残っている!まだ左手も両足もある!」というセリフ。すさまじいセリフで身震いした。戦争という理不尽を理不尽と捉えず、受け入れ、参加者として生きてきた。あるいは考えないようにして、ひたすらに同じ方を向いて一眼となってきた。それもこれも全て正義という名の大義名分があったからこそなのだ。

その大義名分がひっくり返ったとき、今までの全てがおかしくなる。考えないように、してきた小さな違和感や疑問が一気に爆発して、虚しさが溢れ出る。これは怒りだ。

希望

最後には希望へと向かって行き、物語は幕を閉じる。戦後の人の強さとはこういうものだったのかな、と思わされた。すずも全ての思い出や過去を背負い、素晴らしいものを素晴らしいものとして、記憶を宿しながら生きていく決意をする。なんてたくましいのだろう。

最後の方、母親を失くした少女に出会う。右腕を失って死んだその母親は、すずのもう一つの道だったかもしれない。もし、すずが聡美の右側にいれば、ああなっていなのかもしれない。

「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めて終わった夢と変わりはせんな」

周一の言葉が頭の中をこだまする。いくつものすれ違いや、あの時ああだったらがよぎるけど僕たちは目の前の今を受け入れて生きていく。今を最良とするために生きていく。
今の時代は戦争はないけれど、何かと戦いながら、何かに苦しみながらも、恋愛であったり、家族のことであったり、そういう人として何千年も前からやってきた日常を生きていくことにか変わりはない。それはまた戦争がはじまっても多分いっしょだし、人生でずっと続いていくのは日常なのだ。

そんな日常を、強くおおらかな気持ちで優しくすごしていこうと思った。

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