true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

8月を終えて。入社~5カ月

8月を終えて

ちょうど一ヶ月前の7月31日に社会人3ヶ月を振り返るブログを書いてから、まだ一ヶ月しか経っていないと気づいて、驚いた。
あっという間に1ヶ月が終わった気がしていたけれど、自分が思っていたよりもどうやら密度の濃い時間を過ごせていたようだ。

自分のペース

8月入った頃から、ようやく落ち着いて働けるようになってきた。それまではそわそわそわしていて、自分なのに自分じゃないみたいだったし、常に思考停止していたけど、やっと自分のペースを持てるようになった。仕事量は増えたし、プレッシャーも高まったけど、少しずつ自分の頭をちゃんと使える様になって、きもちいい。

知識のない状態で、いろんな前提条件も知らない中で、考えても答えが出るわけがないと思ってしまって、正直考えることを諦め、放棄していた。例えば、同じ環境下で自分が学生インターン生だったとしたらわかる様なことも、わからなくなっていたと思う。
つまり、自分の立場に甘んじて、わかるはずのことまで、考え様としていなかった。仮にインターン生だと豪快に行けて社会人だと遠慮する、というのも変な話だよ。自分を卑下しすぎず、自分の考えに自信をもって、堂々とぶつかればいいと思う。

ぶつかった結果、間違っていたらちゃんと誰かがストッパーになってくれるだろうし、間違っていると言われる体験を繰り返すと、指摘されることも別に辛くなくなるし、プライドも傷つかなくなる。
過程のことに翻弄されているのは勿体がないことで、むしろ重要なのは、よりよい方向性にもっていくことだと今は思える。

自分でいること

最近、気づいたのだけれど、僕はどうしても、追い込まれているときや自分の素を出さなきゃいけないときに、自分を他人事の様に扱ってしまう癖がある。そうして感情もぷつんと切ってしまう。仕事しかり、恋愛しかり、対人関係しかりだ。

ぼくは自分の書く文章があまりすきじゃない。むしろきらいだ。特に自分のことを書いた文章。なぜなら、どこか俯瞰的で、自分のことを語っているのに、自分事じゃないみたいだから。
この文章も読み返していて、人のぬくもりを感じない気がして、なんだかつまらないなーって思ってしまう。やっぱり人の文章の魅力って、にじみ出てくる人間味だと思うんだ。そういったものを僕はそぎ落として書いてしまう。現実世界でもそぎ落として振る舞ってしまう。

それを変えたいと思っていて、少しでも自分でいれる時間を増やそうと、意識した一ヶ月だった。自分でいると、その分辛いこともその分だけ辛く噛みしめることになるけど、少しずつちゃんと「人間をやれている」って感じがしてきて、前よりも生きてる心地がする様になったんだ。だから、引き続き意識していこう。

ドライな人間から、愛情にあふれた人間に変わるぞー。