true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

2011年3月11日から5年が経って。

3月11日になるといつも、震災の1年後の2012年に当時高校2年生の自分が書いた日記のことを思い出す。そこには、つたない文章で震災について思うことが書いてある。2011年、高校2年生のあの日から、5年が経ってぼくは大学4年生になった。

北海道と東北はとても近い距離にあるのに、海を一つこえただけで、まるで外国のことのように感じられて、そんな自分が薄情だと日記の中でぼくは嘆いていた。

あれから5年

あれから5年が経って、いろんな経験をして、前より少し社会のこともわかって、「考えられること」「見えるもの」の幅や数は増えたと思う。

でもずっと、3.11のことは実感がわかなくて、外国でおきたことみたいだ。いや、別に外国でおきたからどうでもいいって話ではなくて。多くの日本人は「pray for Nepali」より、「東北への追悼」の方がずっとずーっと力が入っていた。ネパールの地震のときは部の人以外はみーんなしーんとしていた。

ぼくにとっては外国でも、日本でも、知らないだれかが亡くなることは、等しく苦しいことなんです。この温度差はなんなのでしょうか。愛国心のちがいなのでしょうか。このズレがあるから、余計に3.11とどう向き合えばいいのかについて、ぼくは悩まさせられた。そして、未だ現地には足を踏みいれていない。東北から来た人とは、少しだけ話した。通算で数日間。少しだけだ。

だけど、あれから時間がたって、自分の中でわかってきたこともあります。

わかってきたこと

問い続けること。

自分の中で答えが出ないから、わからないままにしておくより、考えつづけようということ。答えが出なくてもいい、自分に問いつづけよう。哲学をする姿勢のように。

行動してみること

考えるよりも小さなことでも行動に移した方がずっといいということ。行動を通して見えた景色は、何十時間もかけた思考よりずっと深くて、澄んでいる。

同じ日本という距離、同じ言語であること

東北で起きたという距離感は、やっぱり人の命の重みを変えるわけではないけれど、同じ国にいるから自分のしたことが届きやすいということ。自分がやったこと、話したこと、発信したことが、ほんのわずかかもしれないけれど、波及する可能性がある。それは同じ経済圏にいるからでもあるし、なにより同じ日本語を話しているからでもある。

自分が、できること

自分の人生で、自分の見える範囲で、できる範囲で、気づいたことを、できることを、1つずつでいいから、だれかのためになることをしていけたらいいなって。

ともだち関係でもいい。仕事でもいい。家族のことだっていい。街を歩いているときのほんの気づかいでもいい。なんでもいい。前へ前へ、すすんでいく。

そして、自分が希望をもって生きること。自分が幸せに生きること。そうやって生きて、少しでもだれかに希望とか幸せが届けばいいなって。

震災は過去完了ではなくて、現在進行形だ。復興だってずーっと続いていく。だからこそ、ずっとずっと前を見て歩いていきたい。例えば東電Fuckって言って前に進む現実があるのだろうか。ずっと闘っている人だって、前へ前へと進めるようにそれぞれの考えで、持ち場で動いている人がたくさんいるんだ。

だから、希望をもって、前へ進もうって。そうやって思う。