true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

次こそ、フライパンでホルモンをおいしく焼く。(長文)

ホルモンをフライパンで焼くことに何度失敗しただろうか。ホルモンが大好きなのに家で調理する度に、べちょべちょになってしまうホルモンを、かわいそうに思いながら食してきた。

そんな僕だが、この度キッチンペーパーをぶちこんで、油を拭きとりつつ焼いてもいいとの情報を得たので、フライパンホルモンにリベンジすることにした。

ところで、ホルモンの語源って?

その前に、こぼれ話を。ホルモンの語源についてだ。僕はホルモンの語源でとても印象に残っているエピソードがあって。小学生のとき、平和学習授業で戦争体験者の方が「ホルモンの語源は”放るもん”」から来ているとの話を聞いた。このエピソードがとても印象的でずっと覚えていた。

なので、うんちくとして紹介しようと思ったのだが、調べてみるとどうやらこの説は誤りらしい。

1970年代様々な文献において「屠殺場で捨てるものを在日朝鮮人がもらってたべていた」という主張が散見されるようになる。その中でホルモンの語源は、内臓は食用の筋肉を取った後の捨てる部分なので、大阪弁で「捨てるもの」を意味する「放(ほ)るもん」から採られたという俗説(この説を採る代表例は、焼肉の「食道園」)をとる人々が現れ、メディアなどを通して主張されるようになった。

佐々木道雄『焼肉の文化史』(明石書店)によれば、1920年代に精力を増強する料理のことをホルモン料理ということが流行したという。

ホルモン焼き『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。UTC、2016年1月29日 (日) 23:00 UTC、URL: 
ホルモン焼き - Wikipedia

ある意味、当時の人々が本来の意味に問わず俗説の意味を意識して使っていたのなら、それもまた誤りではなく正しい意味だといえると僕は思う。言葉は誰かが定義したものが必ずしも絶対ではなく、人々がどんな思いや意図を込めるかで、意味が変化していくのだろう。

それでは本題に入る。

キッチンペーパーの新調から

まず、敏速にキッチンペーパーを取り出せるように、ロールタイプでなく箱ティッシュ型のキッチンペーパーを新調した。 僕はこのタイプのキッチンペーパーがやけに気に入って、なぜ最初からこのデザインでキッチンペーパーが発売されなかったのか疑問に思った。だがキッチンペーパーがあの形であるのにも、あの形であるべき所以があるのだろう。

なぜキッチンペーパが―トイレットペーパーを催したスタイルなのか。世の台所にはあのロールを串刺しにしてぶら下げられる”キッチンペーパーホルダー”を有しているのがご家庭が実は多いのかもしれない。

やたらとキッチンペーパーの話が長くなってしまったが、結論からいうと豚ホルモンをおいしく焼くことに成功した…!だが、めでたしめでたしとはいかず。紆余屈折があり食後には、後悔の念を感じていた。

 

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全ては美味しいホルモンのために、失敗は自らの怠けのために。

まず、油をフライパンに敷き十分にあたためた。それから、少しでも鉄板が焦げ付くといけないので、塩や胡椒はかけずにプレーンの状態で調理をした。火は中と強の間、やや強めだ。ネットでは「強火が良い」との意見が多かったので真に受けて採用した。なお、僕はIHなので、1000Wの設定をえらんだ。

どんなときだって、キッチンペーパーを離さなかった。出てくる油を神経質なほどに拭き取りながら焼き続けた。だが、ここで幾つかの壁にぶつかった。

①億劫になり途中から塩をかけてしまった

焼き上がったホルモンに塩をかけて、味見をした。「美味しい!塩自体が美味いのもあるかもしれない。最近買った塩がやたらとうまいのだ。今まで、塩ホルモンには味塩コショウが基本だったが、もう今後ホルモンに味塩コショウは不要かもしれない。僕はやたらとハイペースで味見をした。

だが、途中から塩をかけながら味見をするのが億劫になり、第2陣から焼いているホルモンに塩をかける方針に変更を行った。フライパンがこげくさくなりはじめた。なにごとも手を抜こうとすると痛い目を見るものだ。僕は瞬時にPDCAサイクルを回し、第3陣の投下からは塩をかけない方針を採用した。

しかし、ここで馬鹿を見た。一つのお皿に焼き上がったホルモンを盛り続けていたので、どれが塩をかけてあるホルモンで、どれがまだ塩がかかっていないホルモンかわからなくなった。ああ、こんなときにGoogle Glass越しにみたら、塩のかかっているものとかかっていないモノに色分けするとかできないかな、と技術の進歩に期待してしまう。いつだって、技術の進歩は一部の人類の怠けを助長する。

②一気に焼いたので、ぬるくなった

焼いては部屋を移動して運んで、食べて・・という作業を繰り返すのがたるくて、一気に全てのホルモンを焼くことにした。全てが焼き終わるころには前半に焼いたホルモンたちはあきらかに冷めてしまった。味見のときのあの美味しさはもうそこにはなかった。

③レンジを使ってしまった

ここでまたバカを見る。ぬるくなったので、まずいとは思いつつレンジにかけてしまった。ホルモンは放射線の刺激に誘発され、べちゃべちゃになった。キッチンペーパーを駆使しての努力も水の泡だ。べちょべちょになったホルモンを再度キッチンペーパーでふきとり食した。

まとめ

結果的にぬるく、ややぬれ気味の、塩がかかっているか否かは口に入れてみないとわからない、そんなホルモンを食すことになった。だが、白米とホルモンのコンビの見事さ故にそれでもおいしく食べられた。今回の経験から得た学びは以下のとおり。

  • 加熱後のホルモンをレンジに掛けないこと
  • キッチンペーパーは恩恵があったこと
  • ホルモンは焼きたてが美味しいので、やはりホットプレートの導入が望ましいこと。あるいは、カセットコンロ等で食卓での調理が望ましいこと
  • 塩をかけるタイミングは統一すること

 

いろいろあったけど、やっぱりホルモンが好きだし、家でも食べたい。だからまたホルモンの調理にリベンジするだろう、次は成功させたい。

おいしく食べれば、食べられることになった動物も浮かばれるだろうと、僕は思う。(自分が豚なら、そもそも殺してほしくないが。)食事を残したりまずいと言うことに対して、貧困者に失礼などという説教文句があるが、僕は食事をすることに対する最大の敬意は、美味しさを噛みしめて食事を楽しむことだと思う。

もったいないからといって無理に残さない必要はない。満腹で本当に苦しくて、気分が悪くなるくらいなら残せばいいと思う。そんな風に嫌々食べられる方も不幸だ。とは言えでも、必要以上な味へのこだわりや、料理への不満は減らしていきたいと、総自分に言い聞かせよう。

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南の極み 天日塩 500g

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