true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

どうして僕たちは、桜が美しいと思うのだろう。

桜はとても日本らしい。

日本には桜について歌った曲がたくさんあって、物語には桜のシーンが度々登場する。そして、そのどれもが印象的で、美しく桜が描かれている。
日本人の共通認識として、桜が美しいという感覚が根付いているといっても過言でないだろう。

でも、どうして僕たちは、桜が美しいと思うのだろう。ふと、そんなことを疑問に思った。

はじめて桜を美しいと思ったとき

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はじめて桜が美しいと感じのはいつだっただろうか。
もしかするとはじめて桜を美しいと感じたのは、現実の桜ではなく、絵本の中だったかもしれない。

学校にはたいてい桜があるけれど、僕の小学校の桜はそこまで美しくなかった気がする。

だから、自分が現実で見たものではなく、誰かが美しいと思った桜を、美しさを強調して絵に描いたそれを見て、僕は桜が美しいと知ったのだ。
そう、感じたのではない。知ったのだと思う。

誰かが綺麗だって言っていたから

そして、桜を美しいと感じるようになったのは、身近な人が美しいと言っていたからだと思う。

おばあちゃんが桜を見て、綺麗だと言っていて、それを聞いて僕も桜を意識しはじめたきがする。
自分が好きな人が美しいと言ったものは、自分も美しく感じるようになる、そんな気がする。

おばあちゃんが「コスモスがきれい」と言っているのが印象的だったから、小さいころ一番好きな花を問われると、僕はコスモスと答えていた。

そうやって、美しいもの、好きなものは、共有されていくのだと思う。

その感覚の共有が多くの人へ波のように広がって、さらには世代をまたいで広がっていく。その先にできたものが文化なのだと思う。

自分にとっての桜。

桜の美しさは、1000年以上前の和歌でも歌われているのだから、何人もの人に桜は愛されてきた。
たくさんの人に愛されたから、たくさんの手垢がついている。

僕は桜を思い浮かべると、花見だとか、入学式だとか、旅立ちだとか、そんなことを思い浮かべる。

このイメージのほとんとは自分の体験から来たものではない。だって、北海道は卒業式の時期にはまだ桜が咲いてないのだから。
それどころか、入学式ですら咲いていないこともある。だから、このイメージは誰かの表現から刷り込まれたものなのだ。

はじめに桜が美しいことに気づいたのはどんな人だったのだろう。
その人は桜を見て、何を思い浮かべたのだろう。
桜に、どんな思い入れをもったのだろう。

自分にとっての純粋な桜の美しさとは何か。
そんなことを考える1月の雪の日。

桜が咲くのは、まだまだ先だ。