true harmony

短文文化のこの時代に、感じたこと、考えたことを徒然なるままに。

読了「永遠の0」

 「永遠の0」ずっと前から読もうと思っていたけど後回しにし続けて、関西へ向かうフェリーの中で読み始め先日読み終わった。一言でいうと、ありきたりな言葉でもあるけれど「日々を生きる力」そして「今という喜び」を教えてくれる作品だった。

 今作は、零戦操縦士で神風特攻隊にて散華した架空の人物「宮部久蔵」に焦点を当てた作品である。宮部の孫である主人公が宮部の知人を巡り宮部についてのエピソードを聞いていくお話で、一貫した一つの作品で有りながら短篇集のように読むことも出来る。宮部の知人が語るエピソード以外の部分は一度読めば十分だが、エピソードの部分はまた読み返したいと思わされるものだった。

 戦争についての作品でしかも零戦操縦士に焦点を絞った作品。この本で印象的なのは主題が戦争について何を思うかという所では無く、その渦中にいた「1人の人間」を主題として彼らが何を思ったかにスポットを当てた作品であることです。 今でこそ戦争なんてタダ者が出来る訳では無いと考えられるが誰もがごく普通の人間であった。

 宮部は第1線で戦う零戦操縦士で有ったが、生きることを強く望み仲間にもそれを訴えた。命を捨てて戦えという日本の軍隊の風潮に流されない強い信念を持った宮部は実に魅力的である。周りに流され間違ったことすらも正しいと刷り込まれる。そんな現代のマスコミと国民のあり方へのメッセージ性も彼の姿から感じさせられる。 この物語の中に高山という新聞社の男が描かれているのもそのメッセージ性をより強くさせている。  マスコミというのは恐ろしいものでナチス政権もマスコミの操作により成り立ち、今の日本の世論も完全にマスコミに操作されている。ソーシャルメディアの発言力がもっと強くなって欲しいと感じる。情報の信憑性はより曖昧になるかもしれないが、自分で情報を判断するようになる。自分が信じる発信源を探すようになる。凝り固まった回し者のようなメディアに翻弄されるより、マシだと感じるのだ。 ・・・いうことは置いといて本の話に戻る。

 殺し合いという境地にいても日本とアメリカのパイロット同士が互いに相手の腕を認めリスペクトしていたことが印象的だ。戦後に再開を果たし、抱き合うシーンが有るがすごい境地だと思う。これは正に相手への憎しみという個人の意志で殺し合いをしていたなら絶対に産まれない感情だ。戦争では殆どの人が殺し合いをしたくて戦っていたわけではない事を思わされる。アメリカ兵が果敢なパイロットを讃え水葬するシーンもあり、基地上での飛行機のパフォーマンスを褒め称える手紙が来るシーンがあり・・人は本質的には敵同士では無いのだなと思わされる。 本外の話だけど、何かの戦いで極寒の一夜を敵兵同士が助けあってしのぎ、次の日にはまた元通り闘ったということが実際に有ったらしいのだから戦うものはまるで、司令官の駒の1つであり兵器として扱われているようでとても悲しい。

一番印象的だったシーンは、特攻を言い渡された前日に全ての自然が惜しく思え川に足を踏み入れ涙し、足元に咲いている花がこの世で一番美しいと思わされた。という当時の記憶が語られるシーンだ。 普段自分たちはどれだけ、生きていることを噛み締められているのか?と考えさせられた。今の自分はだらだらと生きていないか?と思わされた。もっともっと全身で生きていることを些細な目の前の事も感じ取って生きたいと。この本からメッセージをもらいました。読んで良かったと思う。作者の百田さんも戦争についてどう思うかの作品ではなく、どう生きるかを投げかける作品と言っていたそうだ。

 史実の中にオリジナルの人物を見事に溶けこませて尚且つ一貫したテーマを描いた百田さんという作者の手腕を感じさせられた。他の彼の作品もぜひ読みたい。お気に入りの作家になりそうだ。

 最後に、疑問点があって何故最後に宮部は、不時着を選ばなかったのだろう。彼は戦局は分かっていたはずだし空母に突っ込まない選択をする可能性が有ったのでは、と思いリアリティーに欠けるようにも思わされる。  ただ作品としては、宮部のかっこ良さや凄みもより強く思わされるし、何よりアメリカ兵から見て悪魔ではなく人間だったという認識が最後に有るのは作品が投げかけるメッセージとしては良かったのだと思わされる。

今年、12月公開の映画も見てみたいな。映画はたいてい小説の劣化版だけどそれでも良いから観たいと思う。マンガ版も是非読みたい。これを読んで興味を持った人も是非、本作品読んでほしいなと思います。